ガラクタだけが人生だ
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2011/6/30
10:54:43
「よろしかったでしょうか」を弁護。
いやー暑いですね。
室内の比較的涼しいところに置いた温度計が32度ですよ。
今のところは日中エアコンなし、夜寝る前だけ少し使うというパターンで生活してますが、この調子で真夏になったらどうなることやら。
室内の比較的涼しいところに置いた温度計が32度ですよ。
今のところは日中エアコンなし、夜寝る前だけ少し使うというパターンで生活してますが、この調子で真夏になったらどうなることやら。
本題ですが、以前、「千円からお預かりします」を弁護する記事を書いたんですけど、その続き。今回は「以上でよろしかったでしょうか?」について。
先日外食したときに、飲食店の店員さんが注文の確認で、この「以上でよろしかったでしょうか?」を言われたんですよね。僕はこれ、全然不快に思わないんだけど、この言い回しも叩かれることがあるみたいですね。
頭の中で「以上でよろしいでしょうか?」って言われるところと「以上でよろしかったでしょうか?」って言われるところを、何度もシミュレーションしてみるのですが… なんか、やっぱり「以上でよろしかったでしょうか?」のほうが心地いいと感じる自分に気が付いてしまうわけです。
で、何度も反芻するうちに、確信してきた。
この2つははニュアンスが違うよ、やっぱり。
「よろしかったでしょうか」のほうが、よりへりくだった表現だと、自分は思います。
先日外食したときに、飲食店の店員さんが注文の確認で、この「以上でよろしかったでしょうか?」を言われたんですよね。僕はこれ、全然不快に思わないんだけど、この言い回しも叩かれることがあるみたいですね。
頭の中で「以上でよろしいでしょうか?」って言われるところと「以上でよろしかったでしょうか?」って言われるところを、何度もシミュレーションしてみるのですが… なんか、やっぱり「以上でよろしかったでしょうか?」のほうが心地いいと感じる自分に気が付いてしまうわけです。
で、何度も反芻するうちに、確信してきた。
この2つははニュアンスが違うよ、やっぱり。
「よろしかったでしょうか」のほうが、よりへりくだった表現だと、自分は思います。
「よろしいでしょうか」はお客さんの意思決定を再確認している(と受け取られかねない表現である)のに対し、「よろしかったでしょうか」は自分の認識が正しくお客様の意思に沿っているか確認していただく、というニュアンスが強くなると思うのです。
過去形にすることで、確認・評価される対象を自分の側(直前の、注文内容の読み上げ行為)に移そうとしているわけです。その姿勢は美しいと思うし、AMOとしては、尊重したいと思うのです。
過去形にすることで、確認・評価される対象を自分の側(直前の、注文内容の読み上げ行為)に移そうとしているわけです。その姿勢は美しいと思うし、AMOとしては、尊重したいと思うのです。
ホントは微妙な違いですが、極端に言うと
「よろしいでしょうか」=本当にこれでいいんですね?変更ありませんね?
「よろしかったでしょうか」=これでお客様のおっしゃられた通りですよね?私間違ってませんよね?
という感じ。
「よろしいでしょうか」=本当にこれでいいんですね?変更ありませんね?
「よろしかったでしょうか」=これでお客様のおっしゃられた通りですよね?私間違ってませんよね?
という感じ。
過去形にする事で、評価や責任追及の対象が相手よりも自分に向くというケースはほかにもあると思います。
たとえば、何かの手続きで、カウンターの向こうのお姉さんの指示に従って書類を書いて、印鑑を押して、一通り出来上がりました。
で、お姉さんがチェックしてみたところ、一か所印鑑が足りませんでした。このとき、
「すみません、こちらにも印鑑をいただかないといけません」
と言うのと
「すみません、こちらにも印鑑をいただかないといけませんでした」
と言うのでは、やっぱりちょっと違う。
前者では、すみませんとは言いつつも、印鑑漏れというミスの責任を客側に問うことになってしまいますが、後者は、「私の指示が足りなくてごめんなさい」というニュアンスになるので、客側のミスを追及する意味合いをほとんど除去できている。
なので、現在形と過去形の違いってのは、単に現在過去の違い以上の意味を持つこともあるんだよね。
たとえば、何かの手続きで、カウンターの向こうのお姉さんの指示に従って書類を書いて、印鑑を押して、一通り出来上がりました。
で、お姉さんがチェックしてみたところ、一か所印鑑が足りませんでした。このとき、
「すみません、こちらにも印鑑をいただかないといけません」
と言うのと
「すみません、こちらにも印鑑をいただかないといけませんでした」
と言うのでは、やっぱりちょっと違う。
前者では、すみませんとは言いつつも、印鑑漏れというミスの責任を客側に問うことになってしまいますが、後者は、「私の指示が足りなくてごめんなさい」というニュアンスになるので、客側のミスを追及する意味合いをほとんど除去できている。
なので、現在形と過去形の違いってのは、単に現在過去の違い以上の意味を持つこともあるんだよね。
で、最初の「よろしかったでしょうか」の話に戻りますが、中には「お客さんの意思を再確認して何が悪いんだ」と考える人もいるかもしれません。
でも、基本的に「目上の人が一度言った事に対して、それで良いのか再度問うというのは失礼な行為」だと思うのです。
すごく上下関係が明確な場合を考えてみますか。
たとえば軍隊で、鬼軍曹が兵士に作戦内容を指示する。
で、兵士がその内容を確認するとき、「以上のような作戦で本当によろしいですか?変更はありませんか?」って言ったらブン殴られて営倉入りだと思うわけですよw
ここで確認行為があるとすれば、やはり一兵卒としては作戦内容を復唱して己の認識が正しいか軍曹殿に確認していただく、という事に限ると思います。
だから、この辺の感覚のある店員さんとしては、お客様の意思を再確認する意味にとられかねない「よろしいでしょうか」は使いたくないと思ってしまうんじゃないかなあ。無意識に。
というわけで、「よろしかったでしょうか」を使う店員さんは
・客と自分の上下関係を明確にしている
・評価や確認を受ける対象は自分の側としている
という事が考えられ、AMO的には無罪を主張。
まあ、ホントに微妙なニュアンスなんでね。
お客さんに「『よろしかったでしょうか』とはなんだ、『よろしいでしょうか』だろう君、わたしはそういう日本語の乱れにはガマンがならんのだよ」とか言う人が現れたら、そりゃ素直に従わないといけないとは思いますw 日本語は難しいよね。
でも、基本的に「目上の人が一度言った事に対して、それで良いのか再度問うというのは失礼な行為」だと思うのです。
すごく上下関係が明確な場合を考えてみますか。
たとえば軍隊で、鬼軍曹が兵士に作戦内容を指示する。
で、兵士がその内容を確認するとき、「以上のような作戦で本当によろしいですか?変更はありませんか?」って言ったらブン殴られて営倉入りだと思うわけですよw
ここで確認行為があるとすれば、やはり一兵卒としては作戦内容を復唱して己の認識が正しいか軍曹殿に確認していただく、という事に限ると思います。
だから、この辺の感覚のある店員さんとしては、お客様の意思を再確認する意味にとられかねない「よろしいでしょうか」は使いたくないと思ってしまうんじゃないかなあ。無意識に。
というわけで、「よろしかったでしょうか」を使う店員さんは
・客と自分の上下関係を明確にしている
・評価や確認を受ける対象は自分の側としている
という事が考えられ、AMO的には無罪を主張。
まあ、ホントに微妙なニュアンスなんでね。
お客さんに「『よろしかったでしょうか』とはなんだ、『よろしいでしょうか』だろう君、わたしはそういう日本語の乱れにはガマンがならんのだよ」とか言う人が現れたら、そりゃ素直に従わないといけないとは思いますw 日本語は難しいよね。
良く行くラーメン屋とかでは「ご注文は以上でよろしいですか?」って聞いてきますよ(^_^;)
なんか「でしょうか?」が違和感です(^_^;)
ラーメン屋とかだと客と店員の関係もそこまで気を使ってない感じだと思うので、「よろしいですか」は妥当な線じゃないかなあ。